京都日記

京都生活を楽しむサラリーマンの小さな発見

光るトラック

ほろ酔いの京都を、どこへ行くともなく歩いているとふと目の前ににぎやかな物が通り過ぎた。光るトラック。ほろ酔いの目には眩しい。夢見心地で眺めていると、夢であったかのように儚く視界から消えた。最近はこんな広告が出来るのか…。広告って、自分に関心のあるものでないと視界に入ってこないけれど、この光を放つトラックはいやおうなしに訴えてくる。そして、キラキラとした残像がいつまでも目に残るのだ。目だけではない、脳に焼きつくこの感覚。いつまでもいつまでも記憶の中の光るトラックが行ったり来たりして頭から離れない。新しい広告が出たものだ。インターネットでは、細かい広告があちこちに散らばっていて視界にも入らない。気にも止まらない。新聞の広告は見ようと思わないし、新聞を見る機会も減った。ネットでいつでも最新ニュースをしることができるしね。光るトラックの広告はアドトラックというらしい。そのままだ。東京ではにぎやかに頻繁に出現し、嫌がられるくらいになっているらしい。こんなに賑やかなものが頻繁に何台も通り過ぎたら、確かにうっとおしいかもしれない。でも、不意に一台現れる姿は、なかなかに印象的だった。京都でアドトラックを使うなら、目新しい今だ。今なら、足を止めてでも眺めてくれるだろう。ドラマチックな演出で、ちょっとしたドラマを見ているかのような、芸術作品を見ているかのような、センスのあるものを期待している。もし、東京で嫌がられているのならそれはみんなおんなじテイストで、飽満気味なのではないだろうか?個性を出して見る楽しみがあれば、飽きることはないと思う。この業界は、まだまだ発展途上ということだろう。京都に出現したアドトラック、これからどんどん町の中に進出して私たちの目を、五感を、楽しませて欲しいと思う。また出会うときがくるだろうか。次はどんな広告を見ることができるのだろうか。アドトラックでにぎわう東京で、アドトラックを見て見たい。すこし広告についてかじったことがあるので、長々と書いてしまった…。その世界から離れたとたん新しいものが登場してくるなんで、なんだかとても悔しい。私もあの光るトラックで広告を作る仕事をやって見たい。色々とアイディアは浮かんでくるけど、そんなことは出来るのか?思わず想像をめぐらし楽しんでしまった。もう一度お酒を飲みなおさなければ帰る気になれない。さてさて、あのをおいかけるとするか…。目の前を鴨川から飛んできた鳩が通り過ぎた。このあたりは夜なのに鳥目にはならないのか、平気な顔して低空飛行してきた。そ飛び方では、踏んでしまうぞ。